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悲しいけれど、現実になること

必ずやってくる現実

いつかはお迎えが訪れるでしょう。
夫婦の別れは考えたくないですけど、現実になる日が来るのですね。
女性の寿命の方が長いですから、主人に先立たれる確立の方が高いのかもしれませんが、もしそうなったら相当ショックで何年も立ち直れない気がします。
もう結婚して32年経ちましたが、いるのが当たり前になっていますから、そういう存在のなくなった時の喪失感たるや計り知れないですね。
何かの事故で突然いなくなってしまうかもしれませんし、病気を患って入院した末にそうなるかもしれませんし、年代を問わずそういったことは人生で最も悲しいできごとですね。

病院

今まで大黒柱として主人を通して何事も行なってきましたので、前面に出ていてくれた人がいなくなる違和感を想像するだけで寂しく、悲しくなってしまいます。
食事をしたことや旅行に行ったこと、散歩に出掛けたことが全て思い出になってしまうわけですから、無常を感じますね。
葬儀の段取りは子供達がやってくれるとしても、しばらくして落ち着いた後の現実として、主人名義の書類やカード、役所への手続きなどを自分でするわけですから、事実を受け止めないといけない酷な作業が待っています。

いざとなった時のための心構え

遺品整理はもっと気持ちの整理がついてからになると思いますが、逝って1年の間には四十九日の法要やお墓のこと、1周忌などしなければならないことが次々発生してきます。
泣いている間にこれらをこなしていかなければならないと思うと、1人の人間がいなくなるポッカリ空いた穴が現実にどれだけ大きいかを思い知らされるでしょう。
いずれ既婚者の皆さんが平等に通る道ですが、逝った時の悲しみや寂しさは当事者しかわからないですし、時間が解決してくれるといいます。
たぶんその通りでしょう。

何ヶ月、何年も通り過ぎるのを待つ身になると思うと切ないですが、一人でじっと耐えるしかないと思います。
いざとなった時に支えとなるように、自分の趣味を充実させておくことも1つだと思います。
あえて忙しくした中に身を置き、没頭することでひとときでも悲しみを忘れられる時間ができるのではないでしょうか。
いつまで泣いていても逝ってしまった人は喜ばないと思いますので、自分の人生を全うできるような自分でありたいといい聞かせていますが、実際はわからないですね。
私の場合は離れてはいますが、子供達がいますのできっと心配をしてくれるでしょう。
ありがたいことですが、やはり心配をかけたくない気持ちから気丈に振る舞うと思います。